雪下の敵



 早足で駅へと向かうと、街のあちこちに雪が積み重なっているのが目立った。
 道からは雪がよけられているようだが、積み上げられた雪山はいたるところにずんとそびえ、子供達の格好の遊び場になっている。どうやら今年の冬は少々雪が多いようだった。
 待ち合わせ時間より少し早く駅前に到着する。するとそこにはすでに目的の人影があった。
「悪い、待たせたか?」
「あ、祐一さん」
 声をかけた俺に答えて、チェックのストールをまとった小柄な少女――栞がこちらに振り返る。
「まだ約束の時間まで5分ありますよ?」
「そうはいっても、栞は1時間前とかに来るからな」
「好きで早めに来ているんですから、大丈夫ですよ」
 とは言うが、ここは真冬の寒風吹きすさぶ屋外だ。俺なら10分でも立っていたくない。
 それにしても栞は寒さに強い。前も何時間も外で立ちつくしていたこともあったし、さらにそのうえアイスを食べたりもする。実は雪女なんじゃないかと、疑ってみたくもなる。
「……どうしました、祐一さん?」
「ああ、すまんな。お雪」
「誰がおゆきですか。そんなこというひと嫌いです」
 むー、と不機嫌そうな顔をする。
 しかし、すぐにその表情を笑顔に変えた。
「ね、祐一さん。これから近くの広場に行ってみません?」
「広場? そんなところになにかあるのか?」
「それは、行ってのお楽しみです」
 そう言って栞は、人差し指を立てて自分の唇にあてる。
 まあ、栞が真っ先に提案するくらいなんだから、きっとなにかがあるんだろう。
「そうだな。じゃあ、そこにしようか」
「はい」
 スキップするように駆けていく少女のあとを、俺は大股に歩いてついていった。



「ほお」
 思わず感嘆をもらした。
 広場。小さな池を持つ、公的なグラウンド。公園と違って遊具などは一切ないが、そのぶん平坦で広く、普段は子供たちがかけっこや鬼ごっこをしたり、たまに中学生が草野球をしていたりする。
 その広場はいま、一面の雪原と化していた。街の他と違って除雪などもされずに冬の雪が積もりに積もっている。片隅にある屋根の付いたベンチが埋もれて、いまや屋根しか見えないくらい。近くにある池には氷が張っている。
「すごいでしょう?」
 笑顔で栞が聞いてくる。
「ああ、たしかにすごい。これなら、かまくらだろうと大雪像だろうと作れるぞ」
「大雪像は無茶ですよ」
 そういい返して栞は、ためらいもなく広場の中へと入っていく。その細い脚が、ずぼずぼと腰近くまで雪に埋もれていく。
「……冷たくないのか?」
 思わずそう呟いた。スキーウェアを着ているのならともかく、栞が着ているのはただのコートだけ。あまつさえスカートをはいているのだ。だが栞は顔色一つ変えず、むしろ喜びを満面に表している。信じられん。
「ねえ、祐一さん。雪合戦をしません?」
 栞は冷たさなど微塵も感じていない表情でそう提案した。
「雪合戦? ここで?」
「はい、そうです。面白そうでしょう」
 たしかにこれだけ雪の積もった中での雪合戦は面白そうだ。
 しかし、それをやったら当然雪まみれになってしまう。寒さに拍車をかける自殺的行為にしか思えない。
「ねえ、しませんか?」
 喉元まで否定の言葉が出掛かったときに、問いかけてくるあどけない笑顔。
「…………そうだな、それもいいか」
 口から出た言葉に後悔。男は愚かだ。
「じゃあ、先に2回当たった方が負けということでいいですね?」
「ああ」
「負けた人は勝った人に、好きなだけアイスを食べさせると言うことでいいですね?」
「ああ。……って、待て」
「なんですか?」
 冗談じゃない。こんな寒い遊びをした後に景品がアイス? 栞はそれでもいいかもしれないが、俺は勝てば身体が冷えて負ければ財布が冷えるという、どっちに転んでも寒い結末だ。
「俺が勝った時には、せめて温かいお茶かなにかにしてくれ……」
「アイスもおいしいのに……しょうがないですね」
 しょうがないのはこっちのほうだ。
「じゃあ、30数えたらスタートということで」
「わかった」
 まるで鬼ごっこかかくれんぼのようだが、俺は目を閉じて大声で30秒を数えた。
「にじゅーく……さーんじゅう!」
 目を開けると、栞の姿はなかった。
「どこに隠れたんだか」
 腰近くまで埋まる、雪の広場に足を踏み入れる。雪をかきわけた跡がずっと奥に続いている。おそらくどこかに潜んで待ち伏せているのだろう。
「ううー。冷たい、寒い」
 こんどから栞と会う時はスキーウェア着用だ。などと心に決めて追跡する。
 ある地点まで行くと、そこにはひときわ深く跡がつき、そこで痕跡が途切れていた。
 あたりを見回す。大きくジャンプしたとしてもせいぜい3メートルぐらいしか飛べないだろう。しかし周りには他に足跡もない。
「どこに消えたんだ」
 かきわけた雪の道の終端になった部分は、ひときわ深く、乱れて崩れたあとになっていた。
「もしかしてこれは、まさか……!」
 その瞬間、背中にポスっと雪球が当たる感触。
 慌てて仰向けに倒れて横に転がり、腹ばいになって前を確認する。
 すると少し離れた雪原から、雪まみれで上半身だけ出した栞が「あ」という表情を浮かべていた。栞はすぐさま雪の中に飛び込むと、ずぞぞぞぞと音を立てて見えなくなった。
「あいつ……雪の中に潜ってやがる!」
 そう、栞は雪原の下を潜って移動して、こちらの隙を突いたのだ。潜水艦か、あいつは。
「くそ、そうまでしてアイスが欲しいのか」
 身を低くして周囲をうかがうが、どこにも姿が見えない。
 かがんでいると周りの雪からの冷気が染み込んでくる。こんな冷たい雪の下に潜んでいるなど、尋常な耐寒能力じゃない。というか、雪の下に潜っている相手にどうやって雪球をぶつければいいのだ。
 低い姿勢で広場に大きく円を描くように移動する。いくら栞が寒さに強くても、雪の中を掘り進むのは重労働だ。かならずどこかで止まり、地表に穴をあけて一息をつくはずだ。
 その時おそらく、わずかに吐息が白く立ち上るはずだ。それを見つければいい。そして引きずり出して顔面にでも思いっきり雪球をぶつけてやろう。
 しばらく、音をあまり立てないようにしながらゆっくりと動く。あちこちの雪面に注意をして……見つけた!
 そう離れていない場所から、一瞬白いものが立ち上るのが見えた。慎重に近寄ると、掘り下げられた雪からわずかに頭が見える。間違いない。
 気づかれないように静かに進み、一息で飛びつける距離まで近づくと、一気に跳ねて飛びついた!
「捕まえたぞ! 栞!」
 雪の中にうずくまっていた栞に飛びつき、押したおした。
「……相沢くん。痛いし、冷たいわ」
――それは栞ではなく香里だった。
 気づいたのと、自分のうなじに冷たい物がぶつけられたのは、同時だった。



「ふふ。私の勝ちですよー、祐一さん」
「だいたい、なんでこんなところに香里がいるんだ」
 喜んでいる栞は無視して、ジト目で香里をにらむ。
「しょうがないじゃない。栞がどうしてもって頼むんだから。雪の中で私がどれだけ待ったと思うの?」
 俺よりはるかに強烈な目でにらみ返してくる。唇は紫色がかかっていて、小刻みに震えていた。どうやら、姉妹でも耐寒能力には差があるらしい。
 あちこち転がり回ったせいで、体中雪まみれだ。くわえてうなじにぶつけられた雪球は、砕けて首のところから服の中に入り、最悪の感触を背中にもたらしている。
「祐一さん。約束どおり、アイスをお願いしますね」
――嬉々として俺の手を引く栞を見て、どうしようもない感情がこみ上げた。
 暗い目をして顔を上げる。
「そうだな、約束どおりアイスをおごってやろう。好きなだけな」
「ありがとうございます」
 こちらの表情に気づかないのか、単純に喜ぶ栞。
 俺は栞の手をがっしりとつかみ、強引に引いて歩き始めた。――氷の浮かぶ、池に向かって。
「……あの、祐一さん。もしかして……」
 ようやくなにをするつもりか気づいたのか、青ざめた顔でこちらをうかがっている。
「なに、可愛い栞に俺の好きなだけアイスをあげるだけだ。浴びるほどな」
「ちょ、ちょっと、アイス違いですよ!」
「あとでバニラエッセンスもそそいでやる。嬉しいだろう?」
 満面に歪んだ笑みを浮かべる俺。
「た、助けて、おねーちゃん! あなたの妹が真冬の池に叩き込まれようとしています!」
「――私には、妹なんていないわ」
 長時間雪の中で待機させられた姉は、爽やかな笑顔でさよならと手を振った。
「うわぁぁぁ! ごめんなさい、許してくださいぃぃぃ!!」
 青く澄み渡る冬空の下、2つの笑顔と1つの泣き顔が雪原に映えていた。

2003/03/04 掲載






上の階層にバック

ホームに戻る