かんたんな話





 いざとなったら死ねばいい。悩むことはない。簡単なことだ
 それを口癖に生きてきた。会社が前触れもなく潰れ、再就職が決まらないまま失業手当が尽きた今日。首を吊ろうとあっさり決められたのもそのためだ。
 手頃な紐を探して押入れを漁ると、買った覚えのないウイスキーが出てきた。ずっと前に、友人が海外の土産として持ってきたものだ。
 せっかくだし飲んでから死ぬかと、オン・ザ・ロックにして傾ける。クセがなくあっさりとした味で、喉をするする滑り落ちていく。高級というほどでもないが悪くない。
 そうやって一杯二杯と飲み干し、三杯目に口をつけたとき、急に苛立ちが腹の底から湧き上がってきた。
 なぜ俺だけ死ななきゃいけないんだ。誰かを道連れにしてやる。どうせなら大物がいい。
 そう思ったとき、放置していた古新聞の一面に、有名政治家の顔を見つけた。こいつで決まりだ。世間をあっと言わせてから死んでやる。
 そして次の日から、俺の暗殺計画が始まった。が、すぐに壁にぶち当たる。政治家なんて無防備に人前で演説していると思っていたが、いざ殺そうと観察すると、いつも近くにボディガードがいるのに気付いた。
 しかたなく遠回りな手を使う。政治研究会を立ち上げ、あの政治家の支援者と付き合いはじめたのだ。
 慣れぬ政治論を勉強し、支持者をおだて、俺は信用を得ていった。そしてついにその政治家のプライベートまでわかる立場になる。
 だが奴に近づけば近づくほど、俺のやる気はなくなっていた。奴のことを調べて理解すればするほど、生きようが死のうがどうでもいい阿呆とわかったのだ。
 俺は目的を失った。死ぬのももう面倒くさい。そんなとき奴の支持者の一人が、講演会の弁士をやってくれと頼んできた。
 あまりにしつこいのでつい承諾し、演壇に立って適当な政治論を垂れ流す。するとなぜか聴衆からは満場の拍手。
 弁士をするごとに謝礼が入るので、惰性で講演を続けていたら、不思議と支持者はどんどん増え、そのうち俺は選挙に立候補させられていた。
 そして見事当選。喜ぶ支持者に囲まれ一人醒めていた俺は、駆け寄ってくる男を見つけた。ナイフを構え、俺に向かって突っ込んでくる。胸に突き刺さる冷たい感触とともに、景色が薄れていく。
 そこで目を覚ました。テーブルのウイスキーがこぼれ、胸元を濡らしている。
「確かに、かんたんだ」
 オン・ザ・ロックの氷は、まだ溶けきっていなかった。

2012/07/03 掲載
初出:2010/08/12 投稿サイト『短編』第95期





上の階層にバック

ホームに戻る