一度きりの花





 花の好きな男がいた。
 彼はずっと花を育てている。種から芽吹き、茎を伸ばして葉を茂らせ、見事に咲いた花を眺めては、満面の笑みを浮かべる。秋になれば散ってしまうが、彼は実った種を上手に採って、翌年にまったく同じような花を咲かせ続けた。
 そしてある年の春、男はいつものように種を植えた、しかしつぼみまではいつも通りだったのに、咲いたのは見たこともない美しい花だった。
 男はとても喜び、飽きることなく眺め続けた。それが咲いた幸運に感謝し、花を称えて日々を過ごした
 やがてその花も枯れた。男は残念に思いながらも採れた種を握り、来年を思って心を慰めた
 そしてまた春が訪れる。男はあの美しい花よもう一度と歌いながら種を植えた。
 けれど花が咲いたとき、彼は思わずジョウロを落とした。それは去年とは違う花だったのだ。
 そう、今年の花も美しい。だけどこれは別の花だ。あの美しさは戻ってこない
 男の目から涙が零れた。今年咲いたこいつにも、来年は会えないかと思うと、どうしても泣かずにはいられなかった。
 彼は種を採る花とは別に、一輪を押し花にした。美しさを何とか残したいとやったことだが、無駄なことだった。押し花もまた美しいが、やはり花とは違うものだ。
 男は毎年種を蒔き、あのときの花を望む。だけどなぜか咲くのは毎年違う花。同じ物は戻ってこない。
 押し花、ドライフラワー、スケッチ、写真。
 毎年いろいろな手段で美しさを残そうと試したが、できるの小奇麗な抜け殻だけだ。
 男は花が枯れるたびに悲しんだ。二度と戻らない美しさを惜しみ、冬になるたび泣き叫んだ
 そうしてある年、幾度となく泣いた男は病に倒れた。だが寝床の中からも未練がましく花を見つめ、枕を涙で湿らせる。
 ある夜、苦しさで目覚めた男は自分の最期を悟った。暗さで見えぬ花を求めたその時、彼は初めて気づいた。
 自分もただの花であったと。咲いて散るだけの花であったと。
 わずかな季節で枯れる花を憐れんでいたが、自分も残され続けるものではなかったということに。
 彼は最後にして、ようやく花のために泣かなくなった。
 男の死後、あの花は種を成さずに枯れた。残ったのは彼が花から作ったものだけ。
 それがあまりに綺麗だったので、誰かが勝手に美術館へと仕立て上げた。
 魂の残っていない花園。
 そこを訪れた人は誰もが感嘆の声をあげるが、なぜか心に悲しみが湧き、素直に笑顔を作れなかった。

2010/06/01 掲載
初出:2009/12/12 投稿サイト『短編』第87期





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