カタマタクラ男爵のトースト





 あるところにカタマタクラという名前の男爵がいた。男爵は学も金も無いがそれに悩まず、日々のささいな幸せをかみ締める、実に結構な暮らしを送っていた。
 毎日の朝食も質素で、ジャムかバターを塗ったトーストと熱いお茶だけ。トーストにバターを塗ったら次の日にはジャムを、前の日がジャムだったら今日はバターを。というように一日ごとに交互に塗るのが癖だった。
 さてそんなある日。男爵はいつも通りの朝食を始めようと思ったが、トーストを掴んだ手が途中で止まった。昨日はどちらを塗ったかが思い出せないのだ。
 ジャムだったような気もするが、バターだったら大変だ。記憶を探ってみたものの、食べた記憶は出てきても、それがいつのことかがわからない。
 さあ男爵は弱り果てた。どっちを塗るべきか不明なのにトーストを食べることはできない。このままでは永久に朝食を摂れないではないか。
 右手にバター、左手にジャムを持ったまま唸り声を上げて悩み、やがてトーストはすっかり冷め果てて給仕に下げられてしまった。空腹では仕事もまったく手につかず、男爵はお昼まで上の空で過ごした。
 昼食はトーストではなかったので迷わず平らげ、少しは元気を取り戻した男爵。止まっていた頭脳も再び回りはじめ、自分の屋敷に生き字引と呼ばれる齢百の老園丁がいることを思い出した。そうだ、彼なら解決策を教えてくれるに違いない。さっそく男爵は老園丁を大声で呼んだ。
 老園丁は庭の片隅で午睡を楽しんでいたが、稲妻のように響く男爵の声で起こされた。不満げな顔でやって来たが、男爵がいかにも深刻そうな顔で、ジャムとバターのどちらを塗るべきかわからない、などと悩みを相談するのを見て、たちまち呆れ顔となった。だが寝起きとはいえさすがは生き字引、すぐに答えを返した。
「明日から両方塗るようにすればいいのでは」
 男爵はこれを聞いて大喜び。それは実に名案、さすがは生き字引、と賞賛の言葉を浴びせ続け、老園丁のその日の昼寝をすっかり駄目にした。
 さて次の日の朝。爽やかな顔で目覚めた男爵は、さっそく朝食のテーブルについた。さあ今日は両方を塗ってやるぞ、と意気込んでトーストを手に取ったが。はて、どちらから先に塗ればよいのか。
 バターを先に塗れば油でジャムを弾きそうだし、ジャムの上からバターを塗るのは難儀な作業に思える。またしても男爵は弱り果てた。
そして老園丁は今日も叩き起こされる。


2009/01/13 掲載
初出:2009/1/12 投稿サイト『短編』第76期





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