骨折り損の、なんとか儲け(前編)
2005/10/10





 私の左手首には、大きな傷の跡が縦に走っています。6針ほど縫っているので、けっこう目立ちます。
 これを人に見られると、時折「リストカットしたの?」とか言われますが、縫うほど深い傷を縦につける根性がある人は普通リストカットしません。

(本気で生への未練がない人は、死に方にこだわらずに首吊りや飛び降りなどの確実な手段をえらぶらしいです)
↑嫌な豆知識



 これは私が高校生だったときの事故で出来たものです。あのときのことは、いまでも深く覚えています。



 ――高校生だったある日、友人と二人で遠出をしました。自転車に乗って2時間くらいかかる場所で開催されるイベントへと向かいます。
 出かける前に友人の祖母が「これを食ってお行き」と、リンゴを渡してくれました。リンゴを自転車のカゴに放り込み、出発です。

 さて、私と友人の二人、それぞれ別の自転車に乗っての出発です。私が先頭となり、やや下り坂の道を時速40キロほどのスピードで駆け抜けます。
 と、そこに、見通しの悪い枝道が現れました。自動車教習のレッスンだと、間違いなく車か子供が飛び出して来そうな道です。
 当然のことながらブレーキをかけて減速しました。交差路にかかるまえに安全速度へと移行です。

 その瞬間、衝突音とともに自転車から投げ出され、私は空に舞いました。

 不思議なもので、投げ出されたときから時間がやけにノロノロと進むようになりました。ゆっくりと流れる景色の中で「あ、こりゃすぐ後ろにいた友人が追突したんだな」と理解しました。
 徐々に迫る地面。手をつかなければと考え、両手をゆっくりと前に出します。そして私は地面に落ちました。

 自転車の倒れる音とともに激痛が走ります。その私の目の前をコロコロと転がってゆくリンゴ

(リンゴが……リンゴが!)

 手を伸ばそうとするも、痛みに遮られてそれもままなりません。リンゴはそのまま転がり続け、目の前にあった民家の玄関先へ。そして玄関先の飼い犬の前で
ピタリと止まりました。
 犬は驚いたようにリンゴを見つめ、ついで私の方に視線を向けて「これ、食っていいの?」とでも言いたげな表情を浮かべます。

(く、食うな! それは私のだ!)

 必死に念じますが、声にならない言葉は犬には届きません。たぶん声に出しても同じだったと思いますが。

 リンゴを片手に食べながら「おい、大丈夫か?」と聞いてくる友人(無傷)に、私は「大丈夫だ」と答えようとして、そこで左手首の激痛に気付きました。
 見れば、左の手首が妙な角度に曲がっています。腕は横向きなのに、手の平は縦向きといった感じで、一目で関節に異常が発生しているのがわかります。
 慌てて近くの家で救急車を呼んでもらい(学生が携帯電話を持っていないあたりに時代を感じてください)、来るまでのあいだ手首の激痛に耐え続けます。

 ふと顔を上げてみると、あの犬が美味そうにリンゴをムシャムシャと齧っています。

 それを見て、私は気付きました。最初からそれが狙いだったのだと。
 あれはエスパー犬で、リンゴを奪うためにこの事故を仕組んだのだと。
(どうやったらそういう考えに至るのか)

 到着した近くの外科病院に担ぎ込まれ、そこで即座にレントゲンがかけられました。

先生「骨折ですね」
私 「え? 脱臼じゃなくて?」
先生「はい。単純骨折一箇所なので、とりあえず繋いじゃいましょうか」

 そうして手術が始まりました。
 骨折の具合は、前腕にある2本の骨のうちの一つが折れてズレているので、それを元の位置にもどそうとするものです。
 手術方法ですが、切開をせずに行うということになりました。
 すなわち、レントゲンを見つつ数人がかりで私の腕を引っ張ってずらしながら戻すというものです。

 三人がかりで押さえつけられつつ、折れた左腕をひっぱられる私。
 医者先生の指揮の元、まるで原始時代みたいな手術が始まりました。

「そーれ! はい、引っ張って引っ張ってー。ん、痛いの? はいじゃあ麻酔一本追加。あ、そこの骨もうちょっと上にして。はい、もっと力入れて引っ張る! よし、もちょっともちょっと。はい、くっついた……ってズレて戻った!

 とにかく痛くてたまりません。いちいち引っ張られるたびに「ががぎぎ!」や「がぎゅがぎぐがるげしゅがぎょ!」とか「たこちゅー!」などの悲鳴をあげる私。医者先生から「こんな珍しい悲鳴をあげる患者は初めて見た」などと感心されます。
 感心してる場合じゃないです、先生。

 さて、手術が終わったあとに医者先生はこう言いました。

「あー、無理でした」

 こんなに潔く失敗を認める医者が実在するとは思いませんでした。

「札幌で一番腕のいい整形外科を紹介しますので、そこに行ってください。はい、帰っていいですよ」

 救急車で送ってくれないんですか。

 しかたなく応急処置だけで、自宅にタクシーで帰ります。
 そして、夜遅くなってから母親が帰ってきました。電話ですでに連絡はしていたのですが、てっきり処置は終わっているものだと思い込んでいたため、帰りが遅くなったのです。

私「――と、いうわけで、整形病院へと送ってください」
母「なんでこんなになるまで放置していたの!

 とりあえず私が怒られました。

 夜、すでに通常の診療時間が終わった例の整形病院に、急患扱いで運び込まれます。
 やけに若い先生が、レントゲンを見つつなんでもないことのようにつぶやきました。

先生「あー。こりゃ切開しないと無理だな」
私 「え!? 単純骨折じゃないんですか?」
先生「限りなく複雑に近い単純骨折

 なんでも骨が砕けて破片が2つ出来ており、それを取り除いて金属芯を入れないと無理……だそうです。
 じゃあ最初の病院がやってたことは、ただの拷問だったのでしょうか?
 即時入院が決定し、あのヤブ医者め、などと私が前の病院を恨んでいると、その若い先生はさらに衝撃的なことを言い出しました。

先生「これ、放置したから変な風に骨がついてるので、まずそれを外してからだね」


 ベッドに寝かされたまま、左手を天井から吊られることになりました。人差し指と中指に金網のようなものが巻かれて、それをワイヤーで引っ張り、左手首の骨が離れるようにする処置です。
 ですがこれが激烈に痛い。なにしろ金網で指二本を常時縛られて引っ張られているのです。30分と耐えられず、近くの看護婦さん(当時は看護師ではなかった)を呼んで苦痛を訴えます。

看護婦「それでは、薬指と小指の方に付け替えます」

 根本的解決になっていません。
 それから一晩中指の痛みに苦しみ、「ヤブ医者……エスパー犬」とうめきながら、30分おきにナースコールを押すこととなったのです。

 朝になり、朝の当番の看護婦さんに指の痛みを訴えると「わかりました」とすぐに、指を金網で吊る方式ではなく手の平をバンドで吊る方式に変えてくれました。
 これならば痛みもなにもありません。なぜ最初からこれにしてくれなかったのでしょうか。

看護婦「昨夜の先生は、医大生のバイトでしたからね。教科書にはあの方法しか書いてないんですよ」

 サラっととんでもないことを言われました。



(後編に続く)







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