ペーパードライバー
2002/11/07





 自動車を使用したバイトをしている私ですが、普段は運転をすることはありません。その理由は「運転技能が未熟なので不安だ」という至極まっとうなものです。
 まあたしかに自家用車を持たず、運転するのは家族が呑みに行くときだけ、というのでは当然のことでしょう。
 ですが、未熟だから運転を任されないのであれば、ますます運転技能は向上せず、教習所で習ったことがゆっくりと忘れ去られていくという悪循環です。
 ……えーと、信号機の黄色が点滅ってなんだっけ?(これに迷って停車し、後ろのタクシーから恐ろしい勢いのクラクション鳴らされましたが)

 というわけで、普段のバイト中は助手席で悠々自適な車内生活を送っている私でした。移動時間が一時間とかあると、もうそれだけ休みが増えたようなものなんですよ。  さすがに移動時間3時間のときは勤務時間から引かれましたが

 ――ある日。仕事先に置いてある社用車を会社に戻すのに人手が足りない。という事態が発生しました。
 上司から「まあ、会社に戻るだけだし、なんとかやれるよな?」と聞かれ、思わず反射的に「はい!もちろんです」と答えました。
 ……この、反射的に色よい返事という技能は、上役からの覚えが大変よろしくなるというメリットをもちますが、あとでとんでもなく後悔する状況に追い込まれることも多々です。
 このときも、まさにそれでした……。


 さて、頭の中で軽く自動車運転のイメージトレーニングをしてから、エンジンを吹かして発進します。車は滑らかに動き出し、カーブも模範的な綺麗さで曲がり、一時停止もキッチリと守っています。とても素人とは思えません!
 やたらと些細なところに感動してしまうあたりが、すでに完全素人の証明という気もしますが。
 ですがそんなことにも気づかない私は、機嫌よく自動車を走らせます。まったく、久しぶりの車はスイスイと良く走ります。周りの誰もが私をみてペーパードライバーなどとは考えないでしょう。
 ……しかし。しばらくするうちに、私はあるとんでもないことに気づきました。

ここ、どこだろう?

 私の住んでいる札幌市は、区画が碁盤の目のごとく整備されていることで有名です。ですから当然、道に迷うことなどほとんどなく、それゆえ私も油断していたのです。
 しかし、今走っている道はさっぱり見覚えがありません。いったいどこを走ればいいものやら。地名は「東札幌」と表記されていますが、いったいどうすれば会社のある「豊平区」までいけるのか見当もつきません。
 とりあえず、真っ直ぐ行けばなんとかなるだろう。そう考えて進むとますますさびれたところに来ました。見覚えはまったくありません。地名は「美園」となっています。
 これはもしかして、反対方向に走ってしまっているのか?
 そう考えた私は、とりあえずUターンすることに決めました。ですが現在の道は交通量などからなかなかUターンが難しいので、とりあえず脇の路地に入り、そこから曲がり曲がって折り返す作戦です。
 さてと。路地に入って、とりあえず左折して……左折禁止だ。じゃあ右折して、次に十字路をもう一回右折すれば戻れるはず……って、行き止まりなんですが?
 バックで一つ前の十字路に戻り、次は左折。すると今度はどこまで行っても分岐路のない一本道な道路に!
 とりあえず、このあと2回右折か左折をできればいいんだな。あ、やっと分岐路だ。曲がって、また曲がって、しばらく進む。そして見えてきた十字路は……十字じゃなくて45度の角度で交差してるんですが?
 じゃあとりあえず通り過ぎる。って、これさっきの本道だ!!
 仕方ないのでもう2回曲がればいいわけだから……うわ、進入禁止だ。

 気づいたときは、もう東札幌と美園のあたりをフラフラとさまよい続ける迷い人に。
 札幌市は碁盤の目だと信じきっていましたが、この辺りは性の悪いことに45度角度の違う碁盤がモザイク状に混ぜられているのです。
 そのためか、あっちこっち一方通行や袋小路だらけ。素人が入り込んでわかるようなところではありません。標識の「美園3丁目」とかが「地獄3丁目」に感じられます。
 しかも気づけばガソリン残量もあとわずかです。そういえば乗る前に「ガソリン少ないけど、会社に戻るには十分」とか言ってなかったかなぁ……。
 弱った。これはまずい。仕方が無い、携帯で道を聞くか。迷ったというのは少し恥ずかしいけど、しょうがない。
 そう思った瞬間に、携帯電話のベルが鳴り始めました。
 うわ、ちょっとまって、今は運転中だから無理だ。ろ、路肩に止めるから少し待って!
 着信音鳴り響く中、大慌てで停車させて携帯を取り出そうとした瞬間。

「ピー、ピー、ピー、ピー」

 なにこの不吉な電子音は?……あ、携帯の電池が切れたんだ。

 そう、うっかり朝に充電を忘れてしまったために起こった悲劇です。もはやこのSOS発信は使えません。
 ですが、それならば公衆電話を使えばいいだけの話です。幸い近くにコンビニもありますので。

 久々に電話ボックスに入りました。何年も使っていなかったテレフォンカードを差し込み、ダイヤルをプッシュ……何番だったっけ?
 恐ろしいことに常に携帯を利用しているため、電話番号などさっぱり覚えていないのです。必死で頭をひねりますが、自宅の番号しか思い出せません。

 ……な、なんということだ。昔は電話番号の10件や20件くらい、平気で暗記していたのに。
 機械がはびこったことにより、人間の能力がこんなに衰えてしまったとは。まさに現代文明に対する大きな警告とも言えるでしょう。
 ですが、今の問題は市内で迷って会社に戻れないです。

 さて、このくらいで絶望にとらわれてはいけません。最後の手段として、コンビニの店員さんに道を聞きましょう。
 ですが、明らかに仕事中の人間が帰り道を聞く。なんていうのはかなり情けないです。ここはやはり「本州から引っ越してきたばかりで、まだ道がよくわからないんです」との言い訳を用意しましょう。

 ……22年間札幌に住んできて、これほど屈辱的なこともありませんが。

 コンビニバイトのお姉さんを呼んできて、売っているロードマップを片手に現住所を尋ねます。お姉さんは、マップを指でなぞりつつ、
「えーと、ここが駅だから。こっちの道をこういって……」
 まずい。この人のメイン移動手段は私と同じバス・地下鉄だ。こりゃ帰り道を聞いてもわかるわけない。


 ……結局購入したロードマップ片手に、ようやく会社にたどり着きました。のちにバイト仲間からこう聞きました。
「美園のあたりは札幌で一番迷いやすいところだ。あそこの構造を理解できるようになれば、もう札幌は大丈夫、ってくらいだ。もっと腕を上げてからチャレンジするといい」



 ……もう美園になんて行くものか。







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